日別アーカイブ: 2021年5月25日

オリンピックなき世界に想いを馳せて

以下は、5月23日東京アルタ前スタンディング行動に寄せられた井谷聡子さんからのアピールです。

オリンピックなき世界に想いを馳せて

こんにちは。関西大学文学部の井谷です。

まだオリンピックが中止されていないことに、怒りと悲しみを感じています。そして、これまで何年もオリンピック中止を訴えてきたみなさん、本当にお疲れ様です。コロナ禍によって皆さんのメッセージがより多くの人の耳に届くようになってきたように感じます。

これまで東京2020について、多くの人が多くのことを語り、問題を十二分に指摘してきたので、今日は、これでオリンピック中止、廃止を求める私の最後のアピールとなることを願って、ポストオリンピックに目を向けたメッセージを書いてきました。

オリンピック選手や役員、メディアが特別扱いを受けて入国が許される中、日本国籍ではない家族が海外に暮らす多くの人々が、入国宣言によりもう1年以上も家族に会うことができていません。オリンピックのトーチリレーをスタートさせるために、そして今、オリパラを7月に開催するために、新型コロナウイルスに対する様々な対策が蔑ろにされてきました。私がいる関西では、トーチリレーに合わせて非常事態宣言が解除され、その結果あまりに多くの命が失われ、今も失われ続けています。

オリンピックが中止されれば、医療関係者たちは、オリンピックによってさらに増加する負担を心配しなくてすみます。東京都もリレーがめぐる他の都市も、自分たちの街の人々のケアに集中することができます。オリンピック関係者と病床の取り合いをしたり、異なる変異株が一緒になって更なるモンスター級のウイルスを「東京五輪株」として世界に解き放つという悪夢からも解放されます。オリンピックが中止されれば新型コロナウイルスが消滅するわけではありませんが、多くの負担を、多くの不安を、そして多くの怒りと悲しみを解消することができるのです。

もう一度思い出してみましょう。恐ろしい世界規模の感染症が問題になる前から、2020年東京オリンピックには、約1万人の医療従事者が動員される予定でした。なぜなら、激しい運動に全く適さない高温多湿の日本の真夏に何千人ものアスリートたちが、体の限界に挑むスポーツ大会を開こうとしているからです。会場に足を運ぶ観客、沿道でボランティアをする人、警備をする人、選手をサポートするスタッフの人たちにも熱中症や怪我、病気のリスクがあります。もっと人々の体に優しい季節に開催することができるにも関わらず、一番スポーツする人やサポートする人の体に悪い季節に開催することを、IOCと組織委員会は決めたのです。いうまでもなくお金のためです。

新型コロナの先

関西では今年、記録に残る中で一番早い梅雨入りとなりました。私が住む地域では、先日の大雨によって警報が発令され、避難指示が出されたことを、早朝のアラートで知らされました。寝ていたところを携帯からの轟音で叩き起こされ、心臓がバクバクしました。そして、「あぁ、また今年もこの季節がやってきた、しかもこんなにも早く」と不安な気持ちに苛まれました。

2018年6月、関西地域は大阪府北部地震に見舞われました。そして息をつく暇もないまま梅雨の大雨による土砂災害があり、過酷な猛暑がやってきて、9月には台風21号がダメ押しとなる甚大な被害をもたらしました。以来、梅雨の季節になると100年に1度のはずの大雨洪水が繰り返され、史上最強の台風に襲われ続けています。私が子供の頃、といってもたかだか2、30年前ですが、梅雨は外で遊びづらいけど、緑が瑞々しく光、蛍が舞い始め、蛙や虫たちが鳴き始める美しい季節でした。そして、夏は、特に暑い日でも夕方には夕立がやってきて、爽やかな空気が心地よかったのを覚えています。でも今はどうでしょうか。暑すぎる夏は、外で遊ぶには適さず、夕立の代わりにやってくるのはゲリラ豪雨です。台風は巨大なタンカーさえも押し流し、高潮は空港さえも飲み込みました。

日本はもともと自然災害に見舞われやすいところですが、巨大化する台風や深刻化する洪水、猛暑は、気候変動、いや、気候危機によってもたらされているものです。近代化の中で、私たちは、より速いもの、より強力なもの、より高く遠くへ行くことを人類の進化と誤解したまま、環境破壊も顧みず、労働者への搾取も顧みることなく、ひたすら突き進んできました。その結果、私たちは当たり前にやってきていた美しい季節の移り変わりを、災害への不安によって迎える時代に入ってしまいました。私は、4年に1度というIOCが作り出した世界の時間に従って、より速く、より高く、より強いものを目指した競争を見ることを楽しみにするのではなく、毎年繰り返される季節の移ろいと、花や動物たちの訪れを楽しみにしたい。それが私の次の世代にはもう存在しないかもしれない、とそんなますます現実的になる不安に苛まれる世界を生き続けるのは苦しいです。

もうオリンピックは、オリンピック的なものは過去のものになるべき時です。近代という「夢」が、人種主義、植民地主義、家父長制、戦争と搾取によって支えられてきたように、オリンピックの「夢」は、多くの人々の暮らしの破壊と自然破壊、そして、「もっと欲しい、まだ足りない」という際限なき消費と拡大への欲望によって、あらゆる差別によって支えられてきました。もうこんな時代は終わりにしましょう。これ以上、もっと速く、多くの仕事をしろと駆り立てられない社会を、怪我を押して、薬物を使用してまでこれ以上高く飛ぶことを要請されない社会を一緒に作りましょう。オリンピックの悪夢に、「もっともっと」の欲望にさよならすることができたら、私たちは自然と向き合い、ずっと後の世代にいい環境を残す責任を直視し、披露した心と身体を労ることに価値をおく文化に向けて、一歩踏み出せるのではないでしょうか。

オリンピック選手たちと関係者に向けて

私も元アスリートとして、スポーツがもたらす喜びが自信、達成感やチームメイトとの友情の大切さは理解しているつもりです。スポーツの最高峰の舞台としてブランド化されたオリンピックという巨大な目標や夢が、アスリートにとってどれだけの重みのあるものか想像することができます。

でも、です。オリンピックが無くなっても、スポーツが無くなるわけではありません。スポーツの国際大会のスケジュールは実際のところ過密状態にあります。またスポーツの歴史と文化はオリンピックよりも長く、幅の広いものです。だから心配しないで下さい、オリンピックが無くなってもスポーツはなくなりません。そして、アスリートとしての生活の先にも人生は続いています。

でも残念ながら、オリンピックは、アスリートとしての人生の先にある、あるいはオリンピックやスポーツの外にずっと広がる日常を破壊してきました。夏の猛暑や新型コロナウイルス、光化学スモッグや深刻な山火事、海洋汚染がスポーツの継続を危うくすることにも示される通り、スポーツ文化は健康で持続可能な環境と社会なしには成り立ちません。選手としてスポーツから恩恵を受けてきたなら、これからもスポーツが一つの文化として存在することを望むなら、スポーツが誰かに強要されたり、人の生活や身体を破壊することなく存続していって欲しいと思うなら、自分のオリンピックの夢の意味をもう一度振り返ってみて下さい。そうすれば、オリンピックに協力することであなたが守っているのはスポーツではなく、オリンピック産業の利権であることが見えてくるでしょう。でも、オリンピックの搾取と暴力に協力しない方法はあります。Noと声を上げること、ボイコットすることです。すでにその選択をした勇気ある選手たちがいます。

最後に

1世紀以上続いてきたオリンピックによって、私たちの日常はすっかり支配されてしまいました。4年毎という時間も、自然や街の環境も、貴重な税金の使い方や公園へのアクセスも、感染症対策のあり方すらもです。オリンピックが無くなったら、オリンピック的なものを無くすことができたら、「より速く」と追い立てられない社会に、自分の街のあり方を決める力を自分たちの手に取り戻すことができる社会に、一歩近づけるのではないでしょうか。人にも環境にも優しいポスト・オリンピックの世界に向けて、みんなで力を合わせていきましょう。

ご静聴ありがとうございました。


井谷聡子さんは、関西大学教員。著書に『〈体育会系女子〉のポリティクス 身体・ジェンダー・セクシュアリティ』(関西大学出版部)、訳書に『オリンピック反対する側の論理 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動』(ジュールズ・ボイコフ著、作品社、共訳)、『オリンピックという名の虚構 政治・教育・ジェンダーの視点から』(ヘレン・ジェファーソン・レンスキー著、晃洋書房、共訳) (編集部)